安久工機と人工心臓少年BENの話
~①出会い編~

2021年のある日、安久工機に掛かってきた「工場見学がしたい」という一本の電話。

この電話が、後に1人の小さな科学者と多くの大人たちを突き動かしていくことになることは、知る由もありませんでした。

1本の電話から始まった1人の小学生(当時)と安久工機の衝撃の出会い、人工心臓に夢中になる子どもとそれをサポートするご両親・安久工機・周りの大人たちを巻き込んだ現在に至るまでの出来事を、当時のXの記録を元にまとめました。

何年経って読み返しても、ワクワクできる想い出の記録になればいいなと思います。

人工心臓を研究する小学生との出会い(2021年6月)

📞「初めまして。小学生の息子が御社を見学したいと言ってまして」

😄「大歓迎です(ちびっこ工場見学かな)」

📞「人工心臓に興味あって」

😊「あら嬉しい」

📞「HPの写真見て『これサック型だ』って」

🙂「ん?」

📞「三尖弁・僧帽弁の試作品と開発経緯を知r」

😱「シャチョー!シャチョー!!」

HPの写真から人工心臓のタイプと製造方法まで割り出し、模擬三尖弁(さんせんべん)と僧帽弁(ぞうぼうべん)と血液循環シミュレーターの仕組み・開発経緯を知るためにどうしても見学に来て実物を見たいという11歳の少年…

日本の未来は明るすぎるゼッッ!!!!!

ちなみにその後の電話のやりとりは

📞「このご時世なので見学は…」

😄「ご心配ならリモート見学でも!」

📞「いや、本人が『絶対行く』って言って聞かないんです…」

😆「お住まいは?」

📞「北陸です」

😳「ほ、北陸!?」

😏社長「ほ〜ん(ニヤニヤ)」

でした!

自分としてはこんな有望な小学生君が当社に興味を持ってくれたことも喜ばしかったですが、無口な社長(父)が嬉しそうにニヤついていたのが印象的でした笑

その日は質問したいことや見学希望日についてメールですり合わせることを約束して電話を終えました。

しかしその後、驚きの事実が明らかになります。

翌日の朝、先方からメールが届きました。
あの電話の後、息子さんとこんなやりとりがあったそうです。

🙆‍♀️「安久さん見学OK!社長の田中さんが案内してくれるって。調べたら目の不自由な方のためのペンも開発してるんだね」
※弊社の『みつろうペン』のこと

🤔「……。」

🙆‍♀️「どうかした?」

🤔(自室から小5社会の教科書を持って来る)
🤔「田中さんてこの人じゃないかな〜?」

🙆‍♀️「え?……😱!!」

実は一部の社会科の教科書に中小製造業の紹介として安久工機が開発したみつろうペンの事例が採用されています。

会社名など載っていません。
社長の写真があるだけです。

その写真の作業着の胸元に小さく「安久工機」と書かれていることに彼は気づいてくれたんです。

それを知った私は思いました。

「いやもうマンガじゃん!!!」

「絶対会わなきゃいけないやつじゃん!!!!!」

「出会うべくして出会ってんじゃん!!!!!!!!」

どうやら小5の時に学んだみつろうペンのエピソードをずっと覚えていてくれたよう。
そして偶然にも、今一番見学したい会社がそこだったと。

そんなわけで、具体的なことはなーんにも決まってないわけですが彼に会えるのが待ち遠しい日々です。

別に"天才"だから会いたいんじゃないです。
彼を"天才"だとか"博士"だとか、そんなのは大人にとってキモチイイ脚本を当て嵌めてるだけです。
(大きな大きな自省をこめて)

純粋に、私たちが信じて取り組んでいる仕事に興味を持ってくれたこと、私たち(社長か?)に会いたいと言ってくれたことが嬉しいし、そんな子ボクらだって会いたいに決まってます。

この出会いによって彼のモノづくりが好きな気持ちがもっともっと飛躍してくれたら嬉しいなぁと思います。

愛称「BEN」の誕生と、浮き足立つオトナたち

「小学生」とか「彼」とか呼ぶのも味気ないので、ここではこれから彼を「BEN」と呼ぶことにしました。
人工心臓と弁が好きみたいなので。

さて、現在当社では絶対にBENを『安久工機LOVE』にして囲い込むべくあらゆる包囲網を張り巡らせております。

まず、すでに我々とBENはお互いをニックネームで呼び合う仲です。

BENは
社長(父)のことを「タイショー」
母のことを「はっぱちゃん」
そして私のことを「ちゅう」と呼びます。

※当たり前ですけど我々、BENとは呼んでません。

もうこの時点でBENは我々のことが大好きに決まってます。

見学の小学生に「うちの家族全員ニックネームで呼んでくれ」なんてお願いする町工場のおっさん普通いません。

書き忘れましたがこれ言い出したのは御歳65の社長(工学博士)です。どうかしてます。

そして我々は見学日程を土日ブチ抜きの48時間でご用意しております。

小さな知識欲モンスター相手に2〜3時間では到底満たされるわけがありません。やる気スイッチが入った小学生男子の無限の体力の恐ろしさを侮ってはいけないのです。

すでに社長は昔の資料を引っ張り出しアップを始めています。

そして、これがまたまったくの偶然なんですが、親類に北陸在住の大学教授(工学博士)がおり、生体工学に非常に造詣が深い上に超ノリ気なため彼を刺客としてBENの元に送り込みました。

近々北陸で盛大な前哨戦が行われることでしょう。

安久工機一族の包囲網はすでに日本アルプスを超えています。

その他、あの人も紹介したい、あの研究所にも連れていきたいとワクワクは絶えませんが、到底2日じゃ足りないのでまた来てくれないかなーと(一回目も終わってないのに)思いを馳せております。

BENの興味関心の広さと探究心はお母様譲りじゃないかという気がしてきました。

そうでなければ普通見学先の町工場のTwitterの中の人の完全プライベートバンド(権太坂かるちゅあ倶楽部 @gontazaka_c_c)のアカウントを見つけ出し、あまつさえそのLIVE動画を家で流して子供に聴かせるわけがありません。

さすがに恥ずかしくて震えますが、唯一の救いは彼が「『野球へ行こう』けっこーいい曲だねえ、これ好きだわあ」と言ってくれていたらしいということ。

BEN、やっぱり君は優しいね。

そんなこんなで安久工機の見学はもう少し先になります。

※ちなみに彼はTwitterでの反響のことを知りません。

先日北陸にて行われた前哨戦ではこちらの刺客(工学博士)も舌を巻いたようです。
「初めて聞く最新の人工弁のこと聞かれてググりながら話した」と嬉しそうでした。

BENの年齢でこの分野にこれだけの興味関心があることも珍しいですが、驚くことに彼は既に"自分なりのアイデア"を持っているようです。

その"アイデア"が正しいかどうかはわかりません。
ただ自ら仮説を立てられるということが興味関心の一段上のステップであることに間違いはありません。

あとBENによると当社HPの人工心臓はサック型ではなく「ダイヤフラム型」らしいです。

なるほどわからん。何も知らない中の人でごめんよ、BEN。

更に広がるBEN包囲網

さて、最近BENの噂を聞いた様々な人が「何か協力したい」と言ってくれてます。

例えば、今回BENとお母様が当社を知る最初のきっかけになった起業家のL君(元医学生)は「これBENにあげてください」と言ってゴリゴリの医学解剖図書「人体の正常構造と機能」(通称:黒本)を置いて行ってくれました。

彼は「BENならもう持ってるかも知れないけど、その時は捨ててください」と言って笑っていました。

またある横浜の切削加工屋さんは「20年前に安久の仕事で作ったあの埋め込み型人工心臓の試作、俺が加工したんだから写真見せてやってよ!あれ大変だったんだよ!」とたくさん画像を送ってくれました。

その他多くの方から「BENいつ来るの?」と聞かれます。

「天才なんでしょ?」みたいな見せ物的な感覚でなく、微笑ましく見てくれているというか楽しみにしてくれているというか。

純粋に好きなことに夢中になる姿って魅力的だし、なんとなく愛おしい気持ちになるのはみんな一緒なんだなと思います。

ということで、大田区におけるBEN包囲網も着実に広がっています。

既に水面下では日本の人工心臓開発の礎を築いたある研究者の方が応援に来てくださるとのことで、迎撃体制は申し分ないといったところでしょうか。
これについては長くなりそうですのでまた後日にします。

フフフ…待ってろよ、BEN!

最後に、最近BENが気になって仕方ないのは

「 3 音 ギ ャ ロ ッ プ 」

だそうです。なんのこっちゃ!

人工心臓研究のパイオニア、梅津先生参戦

BENの工場見学ですが、早稲田大学で長年人工心臓開発に貢献された梅津光生先生にもご協力いただけることになりました。

またこの喜びをTwitterで共有したいとお願いしたところ、お名前の掲載を含めて快く承諾いただきました。

改めてこの場を借りて先生に御礼申し上げます。

梅津先生は日本でも数少ない医学、工学の博士で早くから「工学による臨床現場への貢献」を目指し、まさに日本の医工連携の先駆けとなった方です。
間違いなく世界の人工心臓開発を最前線で開拓し続けたパイオニアの一人であり、先生がいなければ今の人工心臓研究は無いと言って過言ではないでしょう。

私が梅津先生に初めて会ったのはおそらく生まれてすぐのことでよく覚えていません。
幼少期、何度か両親に連れられてご自宅にお邪魔しました。
電車好きでおしゃべり好きなたまに会う優しい人という印象で、その時はこの柔和な笑顔のおじさんがどんな方なのか想像もできませんでした。

私の祖父である先代が急逝した時も駆けつけてくださいました。
当時高校生だった私は「おじいちゃんは素晴らしい人だったよ」と声をかけられ、その時初めて祖父が早稲田で研究開発を手伝う傍ら、学生たちに図面の書き方などを指導していたこと、その中に梅津先生もいたことを知りました。

私の父が50を超えて早稲田の博士課程に入学したのも梅津先生のお勧めがあったからです。
よりによってその年に急逝した祖父に代わって父が社長を継ぎ、なんとか経営と研究を両立できたのも梅津先生のお力添えがあったからに他なりません。

親子どころか私を含めたら三代でお世話になっています。

そんな梅津先生は80年代にヤギを使った補助人工心臓の慢性動物実験を行っていました。
(余談ですが私の父も同じ研究所で一緒でした)

当時「動物実験がうまくいけばそのままヒトに使える」と思っていた先生は、実験が軌道に乗り始めたこともあって「そろそろ患者に使えるのでは」と考えていました。

世界最先端の医療機器を開発している自負があった先生は、ある日ご自身のお父上を実験現場に招き入れ、「どうだ、これが最先端の医療だ、すごいだろう。もうすぐヒトに使えるようになるんだ。」と自慢したそうです。

多くの失敗を克服してようやく辿り着いた技術に大きな自信を持っていました。

その時、心理学者でもあったお父上は、狭いケージに固定され、胸にぽっかり空いた穴から真っ赤な血が流れる人工心臓をぶら下げたヤギを見て、一言こう聞いたそうです。

「このヤギは幸せなのか?」

考えたこともない質問で、先生は「血流量が十分に補助されているので幸せだと思う」と答えるしかできなかったと言います。

この出来事は先生に“先端技術"への執着と慢心に気づかせ、医療機器開発の本来の目的である「患者さんの幸せ」のために技術はどうあるべきかを考えさせるきっかけとなりました。

後に先生は

「今だったら『このヤギは今、幸せではない。実臨床の現場を想定して、患者さんに少しでも負担のかからない治療環境を整えていくことを念頭に、絶えず努力しないといけない』という答えが用意できる」

と語っています。
(人工臓器47巻1号 2018年)

その後梅津先生は、補助人工心臓の機能評価を動物実験に依存することなく、機械的に血液循環の様子を再現するための装置の研究を開始することになります。

こうして生まれたのが、安久工機が試作開発に携わり、後にBENが見つけることになる当社HPの「機械式血液循環シミュレーター」なのです。

全てのモノづくりにはドラマがあります。

そんなドラマの先にまさかBENのような小学生が突如現れる“つづき”があったなんて。しかもBENと安久工機が実は出会う前から出会っていたなんて。

私からしたらまさに奇跡です。
これがどれだけ素敵な気持ちか、少しでも伝われば幸いです。

そして今回ダメ元でお願いしたところ、梅津先生直々に早稲田大学の研究センターをご案内いただけることになりました。

それも、先生からの「Yahooニュース見ました。面白い小学生来るみたいですね。」と頂いたご連絡に乗っかってお願いした結果です。笑

本当にお優しい…頭が上がりません。

せっかくだし、BENも喜んでくれるといいなぁ。

いろんなものを見て、たくさん吸収して、将来のモノづくりのタネにしてくれたらいいなぁと思います。

何がきっかけになるかなんて誰にも分かりませんからね。

そんなわけでせっせと包囲網を強化しながらBENが来ることを楽しみにしている毎日です。

ちなみに昨年度を以て退官されたばかりの梅津先生が最近気になることは

「ワクチン接種会場の連絡バスは"はとばす"と"都バス"が交互に来るが、どう見ても"はとバス"に乗りたくなる。都バスに喜んで乗ってもらうにはどうしたらいいか?」

だそうです。
※そういうお仕事の方ではないです