若いまなざしが向ける「産業集積」のリアル
6月某日、慶應義塾大学商学部・髙橋美樹研究会の31期生のみなさんが、安久工機を訪れました。
学年は3〜4年生。今回の訪問は、「産業集積の現状と事業承継について」の現地調査が目的です。
当日は、当社のこれまでの歴史や事業の特徴、そして「ヤスラボ」におけるベンチャーフレンドリーな取り組みをご紹介。
学生のみなさんからは「町工場が減っていくとは、実際どういうことなのか?」という実感にもとづいた問いが相次ぎました。
経営者の交代といった単なる制度の話ではなく、人が去り、技術が途切れ、土地の風景が変わっていくことへの肌感覚のようなもの──
100年以上の時間をかけて複雑に絡み合ったこの街の営みを解きほぐそうと、
学生なりの課題意識を持って真剣に質問をぶつける姿が私にとって印象的でした。
偶然通りがかった“生きた教材”
ところが、この日の“ハイライト”は、少し予定外のかたちで訪れます。
「町工場が減少している現実があるが、実際に事業承継が原因で事業を畳む企業には、具体的にどんな課題があるのか」
という質問にまさに答えようとした時、たまたまヤスラボの前を通りがかったのが、今年3月に惜しまれつつ廃業された有限会社伊藤精機の伊藤さん。せっかくなので…と、急遽“ゲストスピーカー”としてご参加いただけないか声を掛けると、二つ返事で来てくださいました。
これが実に、濃かった。
伊藤さんは、山形から上京し、大田区で40年以上にわたり“汎用切削ひとすじ”で生きてこられた方。インコネル、モリブデン、タンタル、鉛など、いわゆる「難削材」と呼ばれるクセ者たちを相手に、たった一人で切削に挑み続けてきました。
特筆すべきはその“素材愛”。
レアメタルの原石や切削屑(いわゆるキリコ)を収集し、自らの手で刃物の切れ味や条件を試し、蓄積してきた知見はまさに“町工場の民間研究機関”とでも呼びたいほど。
そんな伊藤さんにも、かつて一度だけ、息子さんから「手伝おうか?」と声をかけられたことがあったそうです。
しかし当時はリーマンショックの直後で、仕事も減少気味。「こんな時期に巻き込むのはかわいそうだ」と、逆に伊藤さんの方から断った──というのが、事業承継が実現しなかった真相でした。
会社を畳む決意を取引先に伝えたところ、しばしば「代わりの加工屋を紹介してくれ」と求められたそうですが、
「自分だって他所のことはよく知らないし」と苦笑い。
結局、「同じ品質で同じ価格のものは他にない」と言われ、閉業前には“数年分の在庫を作らされた”というエピソードには、思わず複雑な気持ちで一同笑ってしまいました。
伊藤さんは、取引先が持ち込んだ、別の業者で加工したという部品を見て「…まぁ、カタチにはなってるだろうけど、良くはねぇな。」とひと言。その言葉に、彼が積み上げてきた40年の重みが、確かに滲んでいた気がします。
“仲間まわし”のこれから──距離から思想へ
産業集積は、かつて“物理的な距離”で結ばれていました。
仲間に頼み、手渡しし、急ぎの仕事は自転車で動く。
「大田区に設計図を紙飛行機にして投げれば、翌日にはモノが出来上がって返ってくる」
と言われた時代がありました。
しかし今、情報や物流はもっと速く、遠くまで届くようになりました。
となれば、次の「仲間まわし」は、きっと別のかたちをしているはずです。
たとえば私たちが掲げている“ベンチャーフレンドリープロジェクト”のように。
場所だけではなく、マインドでつながる。
近さだけではなく、意志で集まる。
これからの町工場は、地理的集積と思想的ネットワークという、2つの「つながり」をどう重ねていけるかが問われていくのかもしれません。
そして、そこに若い世代のまなざしが向きはじめていることに、小さな希望を感じた一日でした。
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